前回までのあらすじ

これまで10年間、「迷走旅社デザインファクトリー」という名でフリーランスのデザイン業を営んでいた。
「デザインファクトリー」と付け足しているから辛うじて「きっとデザイン関係の何かだ」と思ってもらえるが、じゃ「迷走旅社」ってなんだよ!?と訊かれるのは当然であり、むしろ理解出来る方がおかしい。そもそも旅社って中国語のホテルの意であり、どう好意的に解釈しても理解に及ばない。しかも屋号に「迷走」など不安定で先の見えないポリシーも右へ左へブレてますよと宣言するようなものだ。

なぜ、不穏で意味不明な変換もできない名前にしたのか。

それはまだ若かりし頃、古くからの友人と梅田は東通りのバーで語り明かしていた時のこと。二人とも旅行が好きで東へ西へと給料をつぎ込んでいた。インターネットも黎明期、グーグルのグの字もない時代、旅の情報と言えば定番の「地球の歩き方」や「ロンリープラネット」、時刻表の「Thomas Cook」「OAG」ぐらいのもので、定番から踏み外した旅の情報源といえばマイナーな雑誌や体験者の書籍などを漁るぐらいしか方法がなかった。それが今と違い楽しいといえば楽しい時代でもあった。

そこで酔った勢いで「自分達もいつまでも情報を消費する側ではなく発信する側に回るべきではないか」などと言い始めた。今でこそWebサイトを立ち上げでもすればすぐ発信できる時代だが、その当時は頑張ったところでせいぜい同人誌である。それでも実績を積み、購読者を増やせば或いは、と酒の妄想は明け方まで続く。そして内容もそこそこにお題は誌名へ、バーボンの染みこんだ頭が導き出した誌面のイメージはこんなものだった。

——ある旅行者が世界各地を彷徨って辿り着いた、とある国のとある安宿。そこは同じようにあちこちを彷徨った者たちが立ち寄る旅人の宿だった。旅行者はそこの客に自分が見てきた愉快な話を披露し、そして翌朝には次の目的地へ向けまた去って行く——

かくして「(世界を)迷走(してきた旅行者が立ち寄る)旅社(宿)」という意味合いの造語である「迷走旅社」という名前がここに誕生したのである。

その後、自らが会社を辞めてバックパッカーとしてあちこち歩きながら原稿を書いては送り、そのプロトタイプ的なものを作ろうとしたが、諸々の事情で頓挫した。

しかし、旅行雑誌を作りたいという夢は捨てることができなかった私はアプローチを活字の世界から、もう一つの夢であるデザインの世界へとシフトした。その後の紆余曲折はさらに長いので別の機会に書くとして、私は勤めた会社から独立し、フリーランスのデザイナーとして活動することになった。そこで未だ心の隅っこで燻り続けてきた「迷走旅社」という誌名を屋号としたのが事の顛末であり由来である。

とはいえ、さすがにそれだけでは業種すら分からないし、それこそ本当に安宿に取られかねないので「迷走旅社デザインファクトリー」としたが、それがさらに混乱を招くことになった。

なんだこれは?
夢を何かの形に託すのは個人の勝手だが、それにしても意味不明で、その由来を説明するのにこれだけの説明をしないとならない。多少のインパクトはあるかもしれないが、その意味を説明するだけでこれだけの文字数を消費するのである。不便極まりない。

それでも十年という、フリーランスとしては充分すぎる期間を山あり谷ありながらも、沢山の方に助けてもらいながら続けていくことができた。その方たちの手助けがなければとっくの昔にどこかの塵の一つになり果てていただろうが今もこうやって続けていけているし、まだまだ面白いことをやっていこうと意欲も枯れてはいない。

その上で、この十年の節目にやりたかったことを実行することに決めた。それが「この意味不明でお世辞にも縁起がいいとは言えない屋号を何とかしよう」ということである。そして名を改めるなら普通がいい、キラキラネームのまま大人になった子供が背負っているであろうモヤモヤを払拭すべく、これ以上ないシンプルで直球なもの、かつ今さらながらではあるが名前を覚えてもらうために決めた屋号が「タキグチデザインラボ」である。

同時に長く説明しにくいメールアドレスを解消するためもドメインを短く簡単にしたいのもあった。

かくして、複雑怪奇な名前を十年を機に改めたのなら、こんどは二十年、三十年続けてやろうではないかとここに誓ったのである。